人の生涯の到達点と、あなたの目的とは?  

人は、いつか死を迎える。





人の一生には、必ず一死がついてまわり、
「人生を楽しむ!」という本当の意味は、

「死ぬのを楽しみに生きる!」という意味かもしれない。





例えば、ヨガの究極の目的は、
身体を含めあらゆるものをコントロールすることにあり、

その鍛錬法として呼吸法や瞑想法があり、
最終的には「死ぬ瞬間」のコントロールです。

それでも、誰もが死に向かって生きている中で、
「いつかは死ぬ」という事実を直視することは

「自分と向き合う」最強の方法です。










もし、神様がいたとして、





「あなたが死と向き合うために、病気を与えましょう」





そう言われたとしたら。

あなたが受け入れた死という現実の数と、
あなたが逃げようとした残りの思考の数が、

その希望・未来・夢・願いの道を
選択するのかもしれません。





もし、あなたが、いわゆる「辛い現実」に直面したとき、
それは実はコントロールできます。

「運命を変える」のはできなかったとしても、
コントロールはできます。





病気を治すために、食事を変える。
習慣を変える、考え方を変える。





これも、十分向き合っている。

人が、いつかは死を迎える中で、
それでもちょっとだけコントロールすることは

何も悪いことではありません。



あなたが税理士なら、税金逃れは違法ですが、
節税対策は合法という例を言いたい!笑





「その人が決めた運命だから」という方には、
税理士になってほしい!

僕が思うに、ヒーラーとは、
そのちょっとしたコントロールを
誰かに猶予を与えることを許された

神様のような究極の存在の番人ではないかと思うのです。





またそれは、誰にもできることで、
ヒーラーは誰にもなれる。

そういう奇跡があるからこそ、
だからこそ、人はいつか死を迎えるにも関わらず、

望みを託そうとするのだと思う。





もっと求めるなら、
死すらも楽しめる心境・境地が、
病気の目的かもしれません。










…ということは、どういうことでしょうか?

その目的を別のかたちで達成するのなら、
それは必要ないということでもあるのです。












前里光秀研究所 和田一真