7.今を生きる、未来から戻ってきた人 『表参道回顧録』 

以前、ある世界でミツさんから

「生きている」ということの定義について
教わったことがありました。



生きているって?



「死んでいない」状態が「生きている」としたら、
これを読んでいる皆さんも、僕も

生きていることになります。

でも、へミシンクで魂の救出をするときに、
だいたいその人は「死んでいない」と思っています。



「自分は、ちゃんと存在している!
だから、死んでないんだ」



というのですが、死後の世界に存在している、
つまり、死後の世界に生きている

というあり方もあるわけですね。

そう考えると、

もしここが死後の世界だったら?
とも思ってしまいますよね。

僕は、そう思いました。



ミツさんは、教えてくれました。

それは、生きていることの定義として



「やりたいことを、やっているか」



「やりたいことを、やっている!」なら、
自分の意志で生きている。

好きな人と、好きなときに、好きなように、
つまり、やりたいことをやっている。

そんな話でした。



もしそれができていないなら…?
もし、何かに囚われているのなら…?



多かれ少なかれ、
人にはやりたくないことがあるときがありますが、

それが多すぎると、
どういうふうに感じるでしょう。



「死んでいるように生きている」
という表現もありますが、

まさに「生きる」とは、
「イキイキと生きる」に近いのかもしれません。





「いや~、僕が死んでるって?
 そんなはずはないよ。

 だって、今もこうして生きているし、
 昨日だって1週間前だって、

 小学生くらいからずっと覚えてるよ。」



「そうだね、記憶はあるよね。

 でも実は、僕はね、
 君の友人ではなくハイアーセルフなんだ。

 君が死んでいるということを信じないから、
 ずーっと、ずーっと、そばにいるんだよ。

 君の心が、ここに囚われているから、
 それを助けに来たんだよ。

 いつ君が死んだかって?
 ほら、思い出してごらん?

 あのとき、君が…」



もしそう言われたとしたら、
少し信じてしまいそう…

と、僕は思いました。



これは冗談のような話ですが、

人生で生きている感覚は

「う~ん、生きている!」と、
断言できた方がいいに決まっています。





「僕はね、体外離脱・透視・チャネリングを学ぶ
ワークショップもやっているし、

スピリチュアルを学問として学ぶ
講義形式のプログラムもある。

また、1対1で人生を創造するプログラムでは、
例えば会社の組織論も学ぶんだ。



すべて、「楽しい」というのがもとになっている。

もしそれがなく学んでいるとね、
学んだことを別バージョンに変換ができない。



この変換は、すごく大事だよ。



人の価値というのは、生まれてから死ぬまで
ず~っと満タン、

つまり、「価値満タン」なんだけど。

それを頭で理解しようとすると、
人の相談に乗っても「価値満タン」としか言えない。

毎回毎回、価値満タンと言っても、
何を言っているか分からないよね(笑)



でも心で聞くと、心を媒体として通すから
いろんなバージョンに変換できるんだよ。

だから、量が桁違いなんだよ!



1つを聞いても100人にそれぞれ
別々で伝わるように伝えられる、

という確信を得られる。

100人経験しなくても、だよ?



1つを、1つでしか伝えないと「足りない」んだ。

常に「足りない、足りない」
という思いが頭にあって、足りなくなる。



その前にはまず「楽しもう」「遊ぼう」という、
つまり、「気」が大事。

それは「楽しむ気」なんだけど、
分かりやすく言うと、「実践する気」



特別顧問でも、経営者で
チラシでも何でも「実践する気」がある人は、

売上が上がるんだよ。

チャネリングもそうなんだけど、

チャネリングは心の世界だから
心の癖がチャネラーと一緒でないと使いこなせない。



また、気の問題で言うと、

僕の思いでは「すごく楽しんでいる」という時間
を過ごしてきているので、

ここも一通過点でしかなくて、
ずっと続いていく中での今日でしかない。

それはね、加速をしていく滑走路の途中みたいなもので、
全力でここにいる、というだけなんだ。



例えば、今年の10月にニューヨークで
一真くんとこうして楽しい話をするとして、

そのリアリティを体験してから
ここに戻ったとするよね。



その感覚で「ここにいる」と、
「ここが、絶対」ではない。



いろんなものがあって未来の広がりを感じて、
それでここにいる。

だからそういう人は、
「未来から戻ってきた人」なんだよ。」





ミツさんは、過去から未来まで
ずっと楽しいという確信があって、

その理由がやっと分かった話でした。

ただ、刹那として「楽しい」では、
それはそれ以外を意味している場合もあります。



楽しくない、があるから
楽しいと思う。



ミツさんが言っていたのは、

滑走路の一通過点としての今があって、
その飛び立った最高の飛行という未来を体験してから

今に戻ってくる、「未来から戻ってきた人」



未来から戻ってきた人は、「今」に着陸したとき
人生にとんでもない飛翔感があると思いますが、

それとともに、リアリティの無限さ、
どこにでも戻れるし行けるという確信もあるのでしょう。



ミツさんの話を聞けば聞くほど、
僕は人生の醍醐味を味わい尽くしていない

ということに気づかされた思いでした。