6.心の方程式、言葉のワープ 『表参道回顧録』 

「チャレンジ」の対義語は、「複雑さ」

そんな定義は聞いたこともないけど、
その話を聞いているとき、

そればかりがずっと頭の中を巡っていました。



ここではもちろん「ある」という前提で書いていますが、
ガイドや高次元は存在するので

それが見えない人は、ある意味では
知らずのうちの盲目があるのかもしれず、

チャレンジも捨てている人がいるのなら、
それを映させない複雑があるのかもしれません。



ミツさんの回路にある

「壁がある」=「超えるもの」
「高次元がある」=「そのバージョンの存在がいる」

「過去世がある」=その意味は?



その、言葉と言葉の間を挟まず、

間髪入れずに回答を見つけ、
または意味を見出すか、ないと見るのか。

そういう対応関係を方程式と言いますが、

「複雑さ」というもつれ合った状態の思考から
整然とした組み立ての世界での思考は、

物事をワープさせる不思議な力をもっています。



ある言葉とつながった最終地点の言葉を、
一瞬にしてポンッ!と出す。

これを僕は「ワープ言語」と言っているのですが、

ミツさんの使っている言葉には
いろいろなワープが入っているのが分かります。

それはたぶん、言葉のもつ本来の可能性というより、

人間のもつ意識スピードのはやさ
の可能性を教えてくれるのと、

ツールとして使う言葉との調和力みたいなもの
ではないかと考えています。



だからか、ミツさんが話している内容は
追いつこうとどこまでも走っても、

一瞬で消えるように感じました。





「例えば、スピリチュアルを学んでいる中で、

「今、学んでいるからそんなに変わらなくてもいい」
というリアリティを準備している人もいる。



でも「動かないことはダメなんだ」
という観念があるんだよ、地球には。

それを壊すために、「動いたからOK」と
心の中で思っている。

だからね、ムリはしなくていいんだけど、
ムリをさせるようなデータが入ってくると

「苦しい」となる。



これが、その人の方程式なんだ。



でも、「苦しい」と決めているのは、

「ムリをしなくてもいい」と決めた
本人の心の中にあるもの、でもある。

そうなると、複雑だよね。



その複雑さをもっていると…



例えばね、一真くんと僕は
意味があって出会っているよね?

でもその出会った意味を聞いても
誰も幸せにならなくて、

意味というのは遊ぶ前提で意味をなす
というところがあってね。

それがないところに
「意味をなす意味は存在しない」んだ。



つまり、「意味を知ることに、意味はない」
ということになる。



「なぜ、僕たちは出会ったんだろう?」



という問いかけがあって、

「実は過去世で…」という話をして
「キャ~!感動…!」というのはあっても、

それを大事にしない。



そういうのはたくさん見てきたよ。

それをクールに見るのは、

別に冷たいわけじゃなくて
一緒に遊ぶために必要な見方なんだよね。



そして本当に遊ぶ気があれば、
必要な場所に移動するんだよ。

目の前に、そういう場所が現れる。



例えば、カウンセラーになるのは
目的ではなく、結果なんだ。

楽しんで楽しんで楽しんで、
溢れたからカウンセラーになる。

それはまわりのみんなとの合意で、
一真くんもいろいろな合意が整ったから、

しゃべる仕事をやっている。

苦手だろうが何だろうが、

しゃべる仕事をやっているなら、
それはみんなの合意なんだよ。



好きで好きで好きで…
好きでやっているうちに、

「もう出しなさい!」というメッセージが
合意のもとになされて結果となるんだよ。



一真くんがもし、カウンセラーを目指しているなら、
それはそれで素晴らしいこと。

ただ、溢れた結果、
「そのバージョンは何であってもいい」

という思いは大事だね。



「絶対に、カウンセラーになりたい!」
というのもいいんだけど、

それだと枠が小さいところがあるから、

「人生を楽しむためにいるんだ」
という合意があると、

一真くんが触れるもの・仕事・出会いは、
人生を楽しむための出来事を引っ張ることになる。



そう…

僕はね、楽しみたいんだ。」





人生を楽しむ、という言葉のラインには
「人生」がいつもあります。

その人生は、決まって現実の中にあるのですが、
いつも「ここにいる」というリアリティの方向に

見つけるものでもあります。



そう考えると、いつも僕は
「ここにいない」というリアリティに

置き忘れた、ここへ来られなかった、
そんな「何か」があるように感じていました。



「本当は、ここではないのではないか?」



幼い頃、何もない青空を見上げたとき、
なぜか吸い込まれ落ちていく錯覚があったように

気づいたときに一瞬で変わる何かがあったようで、
さかさまにしたら分かるくらい簡単でも、

なぜかなかなか見つけられない。



だからミツさんの話が、ただのおしゃべりではなく
チャネリングした情報だからか、

話を聞いているだけで
何かを思い出させる作用があるような…

そんな期待もあったのです。



また、同じように考えると、

チャレンジし続けること自体が
ワープするように「ここにいない」というリアリティを

迎えるようになっているのかもしれない
と思い始めたのでした。